からだは慣れるもの
チビ 5才 ガブガブ乙女
北東北の大平洋に面した、イカとホタテとホヤの街
人口23万都市 八戸
ここが、
紀伊半島 熊野の海辺の温暖な土地(三重と和歌山の県境辺り)
で生まれ育った私が嫁いだ土地であります。
熊野で18年、東京で約15年、そして八戸で12年を過ごしてきました。
だいたい、それぞれの土地で、平均的なバランスの年数。
熊野に帰ると、方言はすでに3種が入り交じり無茶苦茶な感じ。
クロ 10才 純粋で好奇心旺盛な太った男子
八戸は、ヤマセの影響か、割りといつでも風があり
年中、特有の強い空気の乾燥があります。
冬も 雪も少なく、そのため雪が降りだすまでの期間は、すごく
冷たいです。
寒いとかじゃなく、とにかく冷たい。
水分は瞬く間に凍り、道路は強く凍結。
人々は滑って転倒し、毎年 少なくない人数の人が骨折。
車は氷でできたワダチにはまりこみ、そこらいら中の交差点で
あっち向いたり、こっち向いたりして停止。
さらに肌は 阿呆みたい に乾燥します。
なのに、古い家屋は特に寒冷地仕様になってはおらず
冬に地面の中の水分が凍り土が膨張。
家屋は若干 持ち上げられる。
(セメントはわからないが、古いアスファルトも持ち上がることが)
雪解けとともに、土の中の水分が融けて地面が下がる。家もさがる。
毎年これを繰り返しているうちに、家屋に歪みが生じて、閉まらないドアがでてくる。
しかも、勝手口とかのドアがしまらなくなり、約1㎝のスキマができる。
家の重みで、閉まらないドアは、開かないドアにもなる。
真冬に強いすきま風がビュンビュン入ってくる。
私はヒッシで段ボールを小さく切ったものを詰めて応急処置。
しかし家主である 夫の母は言う。
「いやいや、こっちの部屋は寒いねぇ
┐(´д`)┌
どこか開いたままになってるんでないの?」
ええ!
開いたままになってるんですけども!
夫も言う。
「さぶ!ι(`ロ´)ノこの部屋、どっか開いてんだろ!」
もちろんですけど
開いてるんだけど ( ´,_ゝ`)
なんで知らない。二人とも。
長年暮らしてる自分たちの家なのにー
( ゚д゚)ハッ!
何を書こうとしていたんだろう。
いつのまにか、グチが・・・・・・
そうそう、気候や気温に慣れた、という話しでした(*´∀`)
はじめて来たときは夏でした。
東京の地獄のような夏を何年も過ごしてきた私は、この家の
日差し降り注ぐソファで気持ちよく うたた寝しました。
街にでると、晴天ながら肌寒く、長袖をきていたのですが
街をあるく女性たちは皆、ノースリーブでスカートやショートパンツ。
「あぁ、やっぱり夏だから、無理してオシャレ頑張ってるんだなー」
なんて思っていたのです。
しかし、3年も経つとわかりました。
オシャレ頑張ってたんじゃなくて、本当に暑かったんだ彼らは、と。
慣れてしまった体で今から東京や大阪や名古屋では
暮らせないなー
と、昨夜の夕飯時に、寒がりで熱がりな夫と、話してました。
ミケ 11才 sensitiveな お嬢様
八戸市の小学校の夏やすみは、7月22日から8月22日まで。
ことしも熊野に、3本乗り換えで、9時間かけて
娘と二人で里帰りします。
これまでで一番つらい里帰りは、
①やはり娘が1歳半の時(3時間泣き通し)
②2歳半の時
(➡病み上りで娘が、新幹線のシートと 抱っこ中の私の肩に嘔吐。
ドア付近で床にも落ちた嘔吐物を拭くたびに○号車の自動ドアが開き
一番近い席のスーツの男性と目が合い、その度に会釈するという試練)
③4歳半頃、私の祖母の葬儀で里帰り
(すでに5月に里帰りが終了していたが、急きょ8月に里がえり。
娘が極度に乗り物酔いで、泣く泣く。最終的に南紀特急の車内の床に
完全に手足をのばしてうつ伏せに寝転がり、大泣き。
沢山の人に気の毒な目で見られる試練)
以上、上位3位でした
ちなみに⬆
娘8歳が 集英社の 少女漫画雑誌りぼん の懸賞に応募して
当選しました(* ̄∇ ̄)ノ☆イェイ
最後までおつきあいくださり
ありがとうございました( ´,_ゝ`)
ガブ
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