青いインク壺

 日々写真詩-『妖精・精霊・詩』

鬼伝説






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          ⬆『鬼ヶ城』のパッケージの、
         紀州備長炭を使った炭火焙煎珈琲
         すっきりした口当たりで飲みやすいが
       香りとコクはしっかりしていて美味しい。

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  あの日(⬅前回のを参照)目的地である私の実家に辿り着いたのは
  23時25分ぐらいだったようにおもいます。

  ほとほと疲れていましたが、はねられた鹿へのヤルセナイ思いが
  なかなか消えませんでした。

  鹿の道だった場所に線路を敷いてしまったのだからね。

  

  娘8歳は熊野で、回転寿司を食べすぎてダウンし、
  自由研究のため訪れた『鬼ヶ城』 で寿司の余韻のためか
  熱中気味になりダウンし、海水浴ではしゃぎすぎてお腹がすいて
  焼き肉を食べすぎてダウンし、なかなか大変です。


  その『鬼ヶ城』(オニ ガ ジョウ)には、
  鬼(海賊)伝説が残っており興味深いです。
  鬼ヶ城は、私が子どもの頃からある地元の観光岩なので
  ちっとも特別ではなく、なんとも思ったことはないのですが

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  熊野市に移り住み、研究され、このような本⬆を
  出版された方がいまして、なんとなく今頃、私も
  娘8歳の自由研究もきっかけで、興味がでたわけです。
  


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  父が言うには、歴史資料館にたずねてきた人が
  「私は、鬼ヶ城にいた海賊の子孫なんです。」と言ったと。
  祖先のことを知りたいという思いからか、遠方から来られたが
  父は、
  「え!海賊 多娥丸は退治されたはずですが」と返答し
  たずねてきた人は 驚きがっくりした、とか。


  たぶん多娥丸には沢山の手下もいて、多娥丸が退治されたとき
  逃げのびた手下が、話をし、ひとに伝え話すうちに
  話が大きくなり、自分は多娥丸だ、なんてことになってしまったか
  多娥丸は本当はいなくて伝説であって、だけど誰かが、
  それは自分の先祖だと言ってしまい代々伝わってきたか。

  もしかしたら、多娥丸は誰か手下に身代わりをさせて逃げのび
  本当に子孫がいるのかもしれないし。


  この辺りは、本当に 鬼 のつく地名も多く、鬼 が良くないと
  鬼を「木」に変えた地名もあるみたいです。

  熊野は、三重県側が 伊勢路、和歌山県側が中辺路、と
  熊野三山への路がいくつか古道として残っています。

  うちの実家あたりは、花の窟屋がありますね。

  鬼ヶ城も興味深いです。

  

  ちなみに私は、熊野本宮大社で結婚式をあげました。
  小雨の中、白無垢であの石段を上りました。


  

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         ⬆鬼ヶ城から見える岩「魔見ヶ島」

  
   熊野~ 良いとこ(`O`)♪ 一度はきてね~

     またのー

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