森 瑤子
私の好きな作家
20年以上前にこの世を去った 森 瑤子
20代の私も今は40半ば
いくつか持っているがまた少し、彼女の作品を古書店で集めている
あの頃は想像するだけの 彼女の作品から立ち上る叫びや軋み
または独特のユニークを
想像ではなく受け止められるようになった憂い
いっとき 森 瑤子の作品は
台詞に「」を使わず、それ以外の文章に区切りなく台詞が
うめこまれて表現されていた
わたしは この時期の彼女の作品が好きだ
フランソワーズ・サガンに強く影響をうけていたことも
この表現に感じられる
ひじょうに動きのない、表面上は静かなシーンでありながら
物も人物も何一つ動かず電話さえならないシーンでありながら
心の中に冷ややかな結露がはりつき 今にも指先までもが
悲鳴をあげそうな内面の大きなうねりで
部屋の薄いカーテンが微かになびいているのが見えるのだ
心情とともに
森 瑤子の小説には、重要な言葉がちりばめられている
まるでそれは、詩ではないかと 何度も思う
なぜ あそこまで
なぜ あそこまで温度を感じるのか
なぜ あそこまで匂いを感じるのか
なぜ あそこまで痛みを感じるのか
彼女の作品は 風のようだと思う
これまでまったく魅力を感じないでいたのだが
40半ばになったわたしが
突如 衝撃をうけるほど魅了されてしまったのが
森 瑤子の『風を探して』という小説
風
風が吹いている
ここで彼女は 自らの最期を知ったのかもしれない
小説には、これまで彼女がずっと使い続けてきた「痛み」と言う言葉が
ところどころに現われる
35歳で作家となった彼女が、これまで使ってきた「痛み」は
心の内側の痛み だった
そしてわたしは、この小説においてもそうなのだろうと思っていた
しかしある瞬間 気づいたのだ
心の内側の痛みではなく 肉体の痛みなのだと
痛いのだ
身体が痛いのだ 痛くてたまらない のだ
亡くなる3年前の作品だと記憶している
現地の詩人との出会い
風にながれる詩
ざらざらと いつの間にか わたしの掌にも砂の感触を見る
・。*