夢 /ある老人の練り精油
以前にTwitterで呟いたもので、お気に入りに保存しておいたものがあり
それを整理していたら、興味深い3つのツイートを発見した。
2年前(正確には2012年11月17日)の、夢に関する呟きだった。
気になるので、ここに書いておこうと思う。
~『今日見た夢に、ある白髪のアジア系老人がでてきて、
何かを調合?しながら
「今のように、一人ひとりに向き合って行うことをそろそろ終わりにさせて
もらいたい。(時間がない、追いつかないというような感覚)
全体に向かわせてほしい」
というようなコトを言っていた。 その老人は練り精油を創っていた。
私は、その老人の作った練り精油を1瓶だけ持っていたので、老人が精油を
創らなくなるらしいと知り、今のうちにあと数本、手にいれたいな~と
思っている。
私はそんなことを思いつつ、老人の練り精油で、紙に何か文字を書いている。
その練り精油は、今までにない ひじょうに素晴らしい香りだった。
私が紙に文字を その練り精油で書いていたら、香りにさそわれて夫も顔をだした。』
夢なのだけど、その芳しい香りは ほんとうに上質で華やかで、
なんていうのだろう、
香りは音を奏でているような 香りが色を振りまいているような
香りが目に見えるようだった。~
という以上の内容の夢ツイート。
この夢を見てから、すでに2年が経過してしまったが、当時、たしかに
私はこの夢の老人のように、全体に向かうことに切り替えたい
と思ったことを覚えている。
一人ひとりに向き合って絵を制作することは(私の絵の性質上)例えば
絵を依頼してくれたその一人のひとの人生を背負えるのか、という所に
突き当たることだったため、真剣に考えていたことだった。
けれどその一人ひとりのための絵は、私の絵の重要な付加価値だった為
自分の「絵のレベル」にときに自信が持てないでいた私にとっては
この付加価値はなくてはならないものだという考えが捨てられないでいた。
結局、そのまま、私はこの付加価値手放しはしないで今に至る。
今でも、この思いはやはりあって、一人のその人のためだけのメッセージと絵、
というのは、ときに人生を背負うことにも繋がるように感じる。
ここひと月ほど、手がとまってしまって、どうしても描けないでいることも
真剣に向き合うリミットと関わりがあるかもしれないと、
この夢のツイートを2年ぶりに発見して、思っているところ。
なんとなく、今回の「夢」の発見や、登場人物などから
この本たちが引き寄せられているように感じるので、写真。
『 イヴ・ボヌフォワとともに 』/清水 茂 著
小島きみ子 詩集『 その人の唇を襲った火は 』(洪水企画)