青いインク壺

 日々写真詩-『妖精・精霊・詩』

けむし の てんごく

 

 

毛虫の季節

毎年、アスファルトの道路を渡る毛虫たち。

 

昨年秋に、保育園も全焼してしまい

隣の敷地にあった学童施設も、保育園再建のため

別にアパートを借りて行うことになり

5年通い歩き続けた 急勾配の坂道をもう歩かないことになった。

あの保育園と学童はすぐ近くに

松や胡桃など他にも数種の巨木が生きる森があり

その森のあけたあたりに原っぱが広がり

虫も沢山いて、木の実も落ちていて

そこで学童のこども達は、毎日走り回って真っ黒、汗も沢山かいて

そんなことができていた。

だから

今の学童のアパートは狭いし外に出れないしで、娘も

イライラが少し。

 

そのかわり

その急勾配の坂道は、毛虫も頻繁に道を渡っていて

送り迎えの父兄の車にひかれて潰されたり、こども達に踏まれたりして

沢山死んでいたのが

全く車が通らなくなったから、風に押されてふわふわ転がって

毛虫達は、気持ち良く原っぱに入っていっているかもしれない。

 

車に乗っているだけだと、じぶんが走っている地面や道路で

何がおこっているのか、まったくわからないままだろうと思う。

知らない間に、たくさんの命が自分の車の下敷きになり消えていることや

なんとか間一髪で生き延びている小さい命のこととか

坂を走ってのぼってくるリスとの対面の一瞬。

リスがこの森に暮らしていて、まさか出会うなんてこときっと

想像もしないだろう。

こちらも生きている、だから

他の命がそのために消えてゆくのは仕方ないのだと、

気づかないでいることをさらに仕方ないこととして片付けるのは 

もったいないのだ。

自分が生きているその影で、その下で、たくさんの命がいることに

気づいたら、水道から流すあまった御汁も、捨てなくなるかもしれない。

毛虫がどんな形で、どうやって歩いているか、一所懸命なににむかって。

風に転がされるほど軽いことや

観察していたら、潰れた時せつない気持ちになることにも気づくかも。

歩くと

いいことがある。

 

それにしても

道を渡る毛虫の数も 最近は随分へったように思う。

 

昨日は、新しい学童からの帰り道に、河原の道を歩いていたら

潰れて中身が飛び散った無残な毛虫の姿が。

その一つはまだ、潰されて間もないかんじ。

この農道は車がすれ違いできないが一方通行ではなく、

さらに日赤が近く、職員の通り道で、それでいて

国道への抜け道になっているからこどもが通るのは危ない。

だから普段は隣の散歩道(車、単車は通行禁止)をあるいている。

 

 

娘7歳作『けむしちゃんの天ごく』

死んだ毛虫を見つけたけど

今にも道に出ようとしている毛虫も見つけ

少しあんぜんなところに移してあげたから

娘のきもちは、毛虫の毛のようにふわふわしたようだ。

毛虫はまるまって、ふわふわしていて、

死ぬ前はこんなに軽くてふわふわで、柔らかいとわかって

娘は帰宅すると夢中で絵を描いていた。

わたしのきもち、けむしちゃんにつうじたかな。と 娘。

 

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